四国方面とかその3

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

2006年10月8日(日) 晴れ


9時20分 桃太郎通り

岡山駅からまっすぐのびる大通り。
たくさんのビルやお店が建ち並ぶ、岡山の中心区域です。
ココでは岡山電気軌道の路面電車が走っており、交通の足としてだけではなく、岡山の名物として多くの方に愛されています。

→道路の中に線路


自動車と路面電車は併走します。
バスも路面電車も本数が多いのが驚きました。
特に路面電車は初乗り100円、終点から始発まで乗っても140円というビックリの運賃。
環境にも良いので、地球にも財布にもやさしい。

→交差点を疾走(別アングル)


自動車といっしょに信号待ち。
ちゃんと電車用の信号機も用意されています。

ちなみに、自分が乗ったのは行きの9時20分頃と帰りの12時だったのですが、両時間帯とも満席。
途中乗車だったので当然、立ち乗りでした。

ウワサの「MOMO」を見ることが出来なかったのが残念…。


9時50分 岡山城

岡山城。
宇喜多秀家が築いた「烏城(うじょう)」と呼ばれるその城は、黒い板張りの外観が特徴。
天守閣は織田信長の安土城を模して築かれたそうです。

天守などは第二次世界大戦の空襲にて焼失していましたが、昭和39年から昭和41年に再建されました。

→城門(不明門)
→正面から
→城外から見上げる
→月見橋から見上げる


当時の石垣。
間近に見て触ることもできます。

→現在の石垣


入り口。
入場料は大人が300円、子どもは120円でした。


しゃちほこ。
さすがに名古屋城には及びませんが、天守閣の上で立派に輝いております。

場内からはかの有名な後楽園を望むことができます。


10時40分 岡山後楽園

後楽園は金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに優れた景観を持つ日本庭園である「日本三名園」の一つ。
世界に誇る文化財です。

藩主の静養の場、賓客接待の場として使われていましたが、後に特定の日のみ藩内の人々に観覧が許され、明治17年には一般公開されるようになりました。


ちなみに、「後楽園」とは岡山城の後に作られた園という意味で「後園」と呼ばれていましたが、先憂後楽の精神に基づいてい造られていることから、明治4年に「後楽園」と改められたそうです。

→園内の景観1
→園内の景観2


延養亭。
藩主が後楽園を訪れた際の居間として使われていたそうです。
こういうところでお茶と団子でも食べながらゆっくりとしたいですね。

園内ではきび団子も売られていますが、ほとんどがおみやげ用にパッケージングされていました。むぅ。

→廉池軒(藩主が好んで利用していたらしい)


その目に見えるものは?


中心から外れると、このような林が広がっています。
先ほどまでの景色とはギャップがありますが、それもまた楽しいです。

→風が語りかけます


岡山城の方向から入るときに渡った月見橋ではなく、帰りはこの鶴見橋を渡りました。
橋を渡ると普通の岡山の街が広がっており、先ほどまでの後楽園の景色が幻だったかのよう。


11時30分 路面電車(帰り)

さて、そろそろ時間なので岡山の街を後にするか。
帰りももちろん、路面電車を利用。

反対側のホームには、岡山駅に向かう際に乗車した電車が到着していました。


12時06分 岡山駅発車

のぞみ700系に乗って帰ってきました。
その前にホームに停まっていたのが東海道から引退が予定されている500系だったので、その対比がちょっと心にきました。
500系のデザイン、好きなのになぁ…。
居住性は悪いけど。

この写真は静岡〜新富士間にある富士川鉄橋からの風景。
写っている山はもちろん、富士山です。
頂上付近はわずかながら雪のようなものと、雲がかかっているのが見えました。