タイピング対決

時は2008年12月。
冬の寒さが身にしみるようになって久しい。

まるで罰ゲームのような寒さから解放されるべくさっさと屋内に入ると、昨今の原油高のようにじわじわと体温が上がってきた。
さすがに冷え切ったサイフの中までは暖めてくれそうもないが、ウォームビズの名の下に部屋の中まで厚着をせずに済みそうだ。

近頃多忙を極めていたせいで体力が落ちていたため、一刻も早く椅子に座ろうと廊下を早足で駆け抜ける。
そのまま部屋に入るか入らないかのタイミングで、短い間隔でプラスチックを叩く音が耳に入ってきた。

うぉー負けたー!!

怒号とも奇声とも表現できる言葉の主は、頭文字がアホになっている男、346だった。
「何をしているのさ」
「お、P-M。アイツがいじめるんだってヴァ」
「…いじめる?私は346さんに現実というものを見てもらっただけですよ」

自信満々で答えるのは後輩氏。
特に理由はないが、後輩なので後輩と記名している。
連中の前にはPCと紙、電卓。
残念ながらPentium3ではなくCore2Duoである。
ディスプレイにはMicrosoft Word2003に入力された大量の文字が表示されていた。
紙に書かれた文章とそれが同じだったため、恐らくタイピングの速度でも競っていたのだろう。

「考えが浅いな。何で電卓があるのかよく考えろ」
「電卓…?そういえばWindowsに電卓がついているのに、それを使わずついつい普通の電卓を使うことは多いが」
「あるあるネタを披露すんな。何を隠そうこれでタイピングのスピードを競っていたんだよ!!」

な、なんだってー(棒読み)。



まったく隠れていない。
考えが浅い人でも予想出来る通りタイピングの対決をしていたそうだ。
横で5秒ルールがどうとかわけのわからないことを言っている346は放っておいて、後輩に語りかける。

「どうやら完勝だったようだな」
「相手が346さんですからね」

フッ。
と鼻で笑ったような気がしたが、突っ込まないでおこう。

「まさかワープロ検定1級の持ち主だったとは…」
「346さんじゃ勝てるわけがない」
「仕方ないだろう。346さんだし」

どれだけギャラリーからの評価が低いんだ。
パワプロだったら能力値の上昇どころか、プロ入りも危ういぞ。
他人の心配をしていたら、一人が突拍子もないことを言い出した。

P-Mさん!やっちゃってください

は!?
助さんじゃないですよ!現代人ですってば!!
ムリですよ。黄門様!!

「次はP-Mさんですか。346さんのところに送ってさしあげますよ…」

相手も乗り気だ…。

「346さんも草葉の陰で応援していますよ!」
「たまには346さんの墓参りに生きましょう」
「346さんをドラゴンボールで生き返らせてください」

何で346は死んだことになっているんだ。



PCの前に座り、Word2003を立ち上げる。
個人的には2000の方が好きなのだが。
そもそもタイピングだけならメモ帳とかエディタでいいじゃないかと思った。
秀丸エディタは最高じゃないか。動作軽快。多機能。マクロも使えるし、あの「秀」と書いてあるアイコンを見ると、ふしぎな ちからが みなぎる! みなぎる!

「これの通りに打ってください」

渡された紙には、先ほどとは違う文章が印刷されていた。
ルールは簡単。
スタートの合図とともにその紙に書いてある文字を、Wordに入力していくだけ。
先に入力が完了した方が勝者となる。

ふぅ、とため息をつく後輩は余裕の表情。
きゃつめ。戦う前から勝った気でいやがる。
ワープロ検定1級相手に勝つには、精神的に動揺させるしかない。

「カトリが悪口言っていたよ」

しかし なにも おこらなかった



よーい、スタート!!

開始の合図とともにキーボードを叩く。叩きまくる。
キーボードクラッシャーを超越した、まるで人間火力発電所だ。

入力する文字はどっかのサイトからパチってきたらしい、日常を書いた文章だった。
春の日差しがどうとか、桜の花かどうのといったお話。
当然ながら、情景を思い浮かべながら書く余裕もなく、さっさと文章を消化していった。

ふと横を見ると、後輩がもの凄いスピードでタイプしている。
タイピングが早い人は、顔の位置を変えず視線だけを動かす。
で、手の位置もほとんど変わらない。
余計な力も入っていないので、キーボードの音も強くない。

こやつ、やりおる。


長ったるい文章も、ようやく後半にさしかかった。
こんなに打ったのは野球部にいたとき以来だよ。もう。
呼吸するのも忘れて黙々とタイピングしていたら、隣の手が止まった。
あぁ、負けちゃったよ。
今日は手が痛かったんだよ。あばらが折れていたんだよ。40度の高熱だったんだよ。
どれを言おうか考えていたら、大きな声と笑いが聞こえてきた。

笑い?



後輩のディスプレイを覗いたら、エラーのレポートを送信しますか?といった内容が書かれたポップアップが表示されていた。

残念だったな。Wordがアプリケーションエラーを起こしたようだ。
この場合の勝者はワタクシになるのですかね。

「あのまま終わっていれば後輩が勝っていたな」
「惜しかったですね、P-Mさん」
「次があるさ。それまで精進せいよ」

何故だろう。負けたことになっているらしい。

「今回はWordにやられました。P-Mさんにはやられていませんからねっ!」

うん。苦情はMSに申し伝えてほしい。
それと、次からはエディタ使おう。秀丸。



こうしてタイピング対決は意外な幕切れをむかえた。
次回があるのかわからないが、私は最後の謎を解決しなければならない。
電卓の意味について−